【平家女護島 俊寛】平成31年1月 新橋演舞場(夜の部)
平家女護島 俊寛(へいけにょごのしま しゅんかん)
平安末期、平清盛が全盛期のころ。清盛に反発した俊寛たちが島流しになって3年が過ぎ、ついに都から恩赦(おんしゃ。刑の免除)を告げる船がやってきます。「やっと都へ戻れる!」。
喜びに沸く一同ですが・・・?
『平家女護島』(明治19[1886〕年2月 市村座)豊原国周 M248-27 都立中央図書館特別文庫室所蔵
舞台は、都から遠く離れた鬼界ケ島。流罪となったのは、俊寛、康頼(やすより)、成経(なりつね)の3人です。
都の船を待ち続けるある日のこと、成経が、島に住む海女=千鳥を妻に迎えることになりました。
婚礼のお祝いをしていると、ついに都から船がやってきます。
ところが、使者の瀬尾(せのお)によれば、平清盛は「3人のうち、俊寛だけは島に残せ」と命じたというのです。
俊寛が悲しみに暮れるところへ、もう一人の使者、基康(もとやす)が登場。清盛の息子達の計らいで、俊寛も都に帰れると告げます!
しかし、船に乗れるのは3人だけ。千鳥は連れてゆけません。新婚の2人を引き離すのは気の毒です。俊寛は、自分が島に残る代わりに、千鳥を船に乗せてやる決意をします。
俊寛は、都で待つ妻=東屋(あずまや)に会うのを楽しみにしていました。しかし、東屋は、清盛に命じられた瀬尾によって殺されていたのです。都に戻る目的を失った俊寛は、一人で島に残ることに。都へ向かう船が遠ざかるにつれ、俊寛は、堪(こら)えようのない孤独と絶望に襲われます。この場面は、歌舞伎の舞台措置を用いた見事な演出で、涙を誘う大きなみどころです。
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▼豆知識▼
・鬼界ヶ島
俊寛は実在した僧侶で、流罪となった鬼界ヶ島で生涯を終えました。この島は、現在の硫黄島だとも喜界島だとも言われます(ともに鹿児島県の島)。
(喜界島の俊寛像)
・恩赦
流罪は死罪の次に重い刑罰で、原則として終身刑でしたが、国の慶事などの時に刑を免除する「恩赦」のときは、元の暮らしに戻れることがありました。この作品では、平清盛の娘の安産を祈って恩赦が行われ、迎えの船がやってきます。
・りんにょぎゃってくれめせ
海女の千鳥のセリフ。作者が考えた薩摩弁で、「可愛がってください」という意味です。都の美女に親しんでいた成経ですが、田舎なまりの純朴な千鳥に心を動かされたのです。
・「思い切っても凡夫心(ぼんぷしん)」
最後の場面で、竹本が語る詞章の一部です。
凡夫とは仏教用語で、煩悩(ぼんのう)に支配されている人のこと。
立派な僧侶である俊寛の心も揺れ動くという、この作品の核心を突いたところです。
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